ムンクの叫びは「叫んでない」!ノルウェーの国民的な画家であり、その大胆な筆使いと何やら不気味な作品で知られるエドヴァルド・ムンクの代表作である「叫び」。この叫びは一体誰の叫びなのか?そして、この作品の本当に注目すべき点はどこなのか。ムンクの過去と照らし合わせて語っていく。
ムンクを苦しめた死
エドヴァルド・ムンクは、1863年にノルウェーのロイテンに生まれた。
ムンクにとって最初の衝撃的な出来事は、1868年の母の死であろう。幼少期での愛する母の死は当時のムンクにとって忘れがたい出来事となった。
さらに、1877年に今度は実の姉が病に冒されて亡くなってしまう。彼は、子供のうちに大切な家族の二人を失ってしまったのだ。
しかし、悲劇はそれだけにとどまらない。ムンクは1880年にノルウェーの王立絵画学校に入学すると、1889年から1892年までパリに留学をしてデッサンを学ぶことになるのだが、そのパリ滞在中に実の父親を亡くしてしまう。
ノルウェーへの帰還後、ムンクはベルリンへと住み家を移し、そこで北欧の芸術家たちとの親交を深めていった。今回取り扱う「叫び」(1893年)や「不安」(1894年)といった彼の代表作が制作されたのはこの時期である。
ベルリンでの活動を経て、ムンクは1896年に再びパリに移住した。そこで彼は展覧会への出品や版画技術の向上などにいそしむのだが、彼に対する評価は思うように上がらなかった。
ここからさらにベルリンへと移ったムンクは、作品制作や個展に精力を上げると、彼は自身に対する評価を確固たるものへとのし上げていく。しかしながら、それとは裏腹にムンクが幼い頃から患っていた不安障害はますます悪化していくことになる。
その後、重度のアルコール依存症に陥ってしまい自ら精神病院に入院した後、ノルウェーに帰還して活動を再開する。
しかし、晩年にはドイツでナチスが台頭し、ドイツの美術館に所蔵されていたムンクの作品は退廃芸術と見なされ撤去された。さらにナチスはノルウェーにも侵攻を進め、そんな中ムンクは自宅近くのレジスタンスによる破壊工作に巻き込まれてその生涯に幕を閉じた。1944年の出来事だった。
ムンクは叫んでない
度重なる家族の死に悩まされ、生涯死への不安から逃れることが出来なかったムンクの代表作である「叫び」。それでは果たして、この「叫び」とは一体何を指しているのだろうか。
多くの鑑賞者は、耳を塞いでいる真ん中の人物、つまりムンクが叫んでいることからこの作品のタイトルが「叫び」となっていると考えていると思うのだが、実はそうではない。実際、作中のムンクは叫んでいないのだ。
以下は、この作品が描かれた当時のムンクによって記された日記である。
私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。
ここで記されている通り、「叫び」は、ムンク自身が叫んでいたところを描いた作品ではなく、ムンクが「自然を貫く果てしない叫び」を聴いた場面を描いた作品なのである。
では、この「自然を貫く果てしない叫び」とは何なのか。
ムンクは、幼少期と思春期に母、父と姉の死を経験している。彼の人生において、大切な人の死というものが大きな古傷として彼の心に深く刻み込まれてしまっていたことは否定のしようがない事実だ。それが原因となり彼は生涯死に対する恐怖心に付きまとわれることになるのだが、「叫び」が制作された当時ももちろん例外ではない。
ムンクは、逃れることのできない死という恐怖を常に感じていた。そしてある時、友人二人と歩道を歩いているときに(何かのきっかけがあったのかは分からないが)、それまでは瀬戸際で保たれていた平常心と恐怖心の均衡が一気に崩れ落ちる瞬間があった。「叫び」は、この瞬間のムンクの体内で走った彼を内面から完全に破滅しかねないほどの衝撃もしくは絶望を表しているのではないだろうか。
それは、まるで人間の支配下に置けない絶対的な存在である自然をも貫くのではないかと感じられるほどの大きな衝撃であったに違いない。
不気味な赤色の空はなにか
さて、「叫び」において一際異彩を放っているのが、背景の真っ赤に染まった空である。
これについて一理あるのが、火山噴火の影響で空が赤くなっているという説だ。
1883年、インドネシアのクラタカウ島において大規模な火山噴火が発生した。噴火の威力はとてつもなく強かったようで、火山から数千キロメートルも離れた場所まで噴火の轟音が聞こえたり、また噴火が原因で高さ30メートルにも及ぶ津波が発生し、それにより多数の犠牲者が出たのである。
だが、噴火の影響はそれだけではなかった。クラタカウ島の噴火があった日の夕焼けが、血で塗られたような不気味な赤色をしていたのである。
そして、この噴火から10年が経った1893年にムンクによって描かれた「叫び」の真っ赤な空が当時の夕焼けと似ていることから、「叫び」の空がクラタカウ島の大規模な噴火をモチーフにしているという考えを持つ者が生まれた。
しかし、果たして本当にそうなのだろうか。
先ほど引用したムンクの日記には、「突然、空が血の赤色に変わった」と書かれているが、それが火山噴火と関連があるかどうかは分からない。むしろ、10年前の火山噴火を想起しているというよりは、その場で空の色が赤色に変化したと捉える方が自然である。
ここで、二つの可能性を挙げる。一つ目は、実際に空が赤く変化した可能性である。そして二つ目は、ムンクの「内面」の変化によってそう感じられた可能性である。
どちらの可能性もあり得そうではあるが、後者の方が説明がつくような気がする。ムンクは、この作品で描かれた瞬間にとてつもなく大きな恐怖を感じたと考えられる。それは、空がまるで血で塗られたように真っ赤になったと感じられたほどであっただろう。
この真っ赤な空は、実際に空がこのような色になっていたのではなく、ムンクの内面で起こった恐怖心が彼の脳を覆いつくしたことによって彼が見た幻覚なのではないか。彼の潜在意識の中で恐怖が血に紐づけられた結果として、彼は空が真っ赤であると錯覚したのではないだろうか。
ムンクが本当はどういった経緯でこの赤い空を描いたのかは永遠に謎のままではあるが、この真っ赤な空は、現代の我々に興味深い議論を生むことになった。
ムンクの叫びは全部で5枚もある
実は、ムンクが制作した「叫び」は全部で五枚もある。
恐らく一番有名である「叫び」は1893年に制作されたもので、現在はノルウェーにあるオスロ美術館に所蔵されている。
また、同じくオスロにあるムンク美術館には、パステルで描かれた「叫び」(1893年)、テンペラで描かれた「叫び」(1910年)、そしてリトグリフ版画の「叫び」(1895年)が所蔵されている。
さらに、同じくパステルで描かれた「叫び」(1895年)は、ニューヨークのサザビーズのオークションにて当時の1億1990万ドル(日本円で約96億円)で落札されており、当時の絵画の落札価格として過去最高額をたたき出した。
このことから、ムンクがこの「叫び」という作品に強い執着心を持っていたことが分かる。この作品に描かれた体験は、彼にとって計り知れないほど大きなトラウマとなる瞬間だったのだろう。
中心の互換性と3つの要因
さあ、いよいよ今回のメインテーマである。
この作品における叫びは、少なくともムンクのものではない何かしらの「自然を貫く叫び」であることがわかった。それでは、果たしてこの作品の「中心」がムンクであるといえるのだろうか。
それについて話す前に、まずはこの作品の特徴を三つ紹介する。
一つ目は、画面の歪みである。ムンクとその友人たちが歩いている歩道を見て分かる通り、かなりの遠近法が用いられている。次に、画面右側の海を見てほしい。本来であれば、歩道の遠近法に従うように描かれているはずだが、この海からは正しい奥行きを感じることはできない。つまり、歩道と海は別の視点から描かれているように見えるといことだ。それだけでなく、全体的にうねるように描かれており、まるで空間が歪んでいるかのように感じられる。
二つ目は、色のコントラストである。海の底知れない深さが感じられるほど深い青色の海とは対照的に、空は驚くほど明るい赤色で描かれている。普段なら、綺麗な夕焼けに見えるであろう空も、海との強烈なコントラストと独特な渦を巻くような筆致のせいで、どこか不気味な印象を与え、鑑賞者を落ち着かない不安な気持ちにさせる。
そして三つ目は、ムンクの存在感である。二人の友人はもうすでにかなり離れたところを歩いており、ムンクの孤独感が強調される。また、周りの風景と比較してムンクはかなり地味に描かれているため、作品の中でかなり存在感が薄くなってしまっている。そのため、まるでムンクが周りの景色に飲み込まれていくような錯覚さえ覚える。
これら三つの特徴から得られる結論は、「叫び」の中心はムンクではなく、ムンクが抱える恐怖の感情そのものなのではないかというものである。
画面が歪んで作品から空間の統一感が失われていることで、ここが現実かそれとも幻想なのかが分からなくなっている。まるで、常に死がつきまとう自身の現実から逃れたいという幻想との間で揺れ動くムンクの意識を表しているようだ。色のコントラストも、ムンクがまさに感じているであろう不安な感情を鑑賞者に呼び起こすし、この作品でムンクの存在感が薄いことも、ムンクの平常心が自身を渦巻く死に対する恐怖心に飲み込まれてしまいそうな状態を表している。
「叫び」には、一貫して恐怖心を助長するような仕掛けが施されているのである。こうなると、もはやこの作品の中心が画面中央で耳を塞ぐムンクではなく、ムンクが抱える、「自然を貫く叫び」にすら感じられる恐怖の感情そのものなのではないか。この作品の中心は、ムンクでありまた彼の持つ恐怖心でもある。この二つの中心には互換性が存在するのだ。
引用:Wikipedia「エドヴァルド・ムンク」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF
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