真珠の耳飾りの少女と目が合うのはなぜか。17世紀オランダ黄金時代を象徴する画家ヨハネス・フェルメールの代表作である「真珠の耳飾りの少女」。鑑賞者を魅了するこの少女に秘められた謎に迫る。
光の魔術師フェルメール
光の魔術師。17世紀オランダのバロック美術黄金期を代表する画家の一人であるヨハネス・フェルメールの異名である。
繊細なタッチと柔らかな光を駆使した作品で高い人気を誇るフェルメールであるが、彼が生涯で世に残した作品の数はわずか40点ほどである。その作品数の少なさゆえに、彼の作品の希少性はかなり高い。
フェルメールは、1632年にオランダのデルフトに生まれた。彼の父親は絹織物職人でありながら画商であったことから、幼いころから絵画への親しみがあったと考えられる。
1653年に、聖ルカ組合に親方画家として登録されたことで本格的に画家としてのキャリアを歩み始め、さらに同年に結婚もした。
フェルメールが最盛期を迎えた時代のオランダは、東インド会社が置かれた影響で豊かな富が築かれていたこからとても平和であったという。
また、フェルメールの義母はかなり裕福であったとされており、彼の画家としてのキャリアは国勢や金銭面において順風満帆であったといえるだろう。
しかしながら、1670年代のオランダ情勢の悪化の影響からか、フェルメールの画風は繊細な表現から力強いものへと変化していったことで、彼の最盛期の面影は消えて行ってしまった。
彼が生涯で残した作品は少ないものの、それでも彼の唯一無二の才能は今なお世界中の人々を魅了し続けている。フェルメールが、世界で最も有名な画家の一人であることに異論はないはずだ。
真珠の耳飾りの少女
フェルメールの名作群の中でも一際輝きを放つ作品といえば、「真珠の耳飾りの少女」(1665年頃)だろう。
青いターバンを付けた一人の少女が、首を少し傾けてこちらの方を見ている。彼女の表情を言葉で表現することは難しく、笑っているのかはたまた恍惚としているのか、定かではない。全体的に色の数が少ない画面の中で、左耳に付けた大きな真珠のイヤリングが暗闇の中で特に光り輝いている。
フェルメールはラピスラズリを原料としたウルトラマリンブルーを多用することで知られ、その青色はフェルメール・ブルーとも呼ばれる。この作品でもターバンに綺麗な青色が用いられており、黄色との対比でより美しさが際立つ。
また、ターバンや少女の唇に光の粒が見えるのだが、これもフェルメールの特徴の一つに挙げられる。この光の粒があることで、全体的に黒色が多い画面であったとしても作品に明るく光り輝いた印象を与えることができる。光の魔術師の異名を持つフェルメールならではの技法である。
「真珠の耳飾りの少女」は、こういったフェルメール特有の技法や魅力を贅沢に味わえる嗜好の名作なのである。
真珠はなぜ描かれたのか
この作品で最も注目すべきなのは少女が左耳に付けている真珠のイヤリングだろうが、この真珠にはいくつか不可解な点がある。
一つ目は、真珠の大きさが、この少女がイヤリングにするには少し“大きすぎる”のではないかというものである。確かに、よく見ると真珠の大きさがやや不自然に大きいように見える。
そして二つ目は、耳飾りのフックが描かれていないという点である。これは科学的な調査で明らかになったことなのだが、真珠の耳飾りには本来描かれるはずのフックが描かれていないのである。
これらのことから考えられることとして挙げられるのは、この真珠が単なるアクセサリーとして描かれたのではなく、何かの“象徴”として描かれた可能性である。
何かを象徴するために真珠が描かれたのだとしたら、真珠を自然な大きさにする必要がないし、本当の耳飾りとしての機能を果たすようにフックを描く必要もない。
では、この真珠は何を象徴するものなのだろうか。一般的に、真珠は愛情や美しさを表すものとされている。このことから、真珠はこの少女の愛情深さや美しさを示すために描かれたのではないだろうか。
この真珠は、実際にこの少女が身に付けていたものではなく、フェルメールがこの少女の愛情や美しさを示すためにあくまで象徴として描き加えた、彼の“幻想上”の真珠なのである。
少女と目が合うのはなぜか
「真珠の耳飾りの少女」を鑑賞している際に、必要以上に少女と“目が合う”気がするのは、果たしてただの気のせいだろうか。
この作品は、どこから見ても描かれた人物がこちらを見ているように感じられるトリックアートで用いられるような仕掛けは施されていないため、ただの気のせいであると一蹴することは出来るかもしれない。しかし、このことには実際に科学的な理由が存在する。
「真珠の耳飾りの少女」を所蔵しているオランダのマウリッツハイス美術館が、この作品の魅力の秘密についての調査を脳科学者のエリック・シェルダーやニューロファクター社の神経科学者マルティン・デン・オッターなどに依頼したところ、この作品を鑑賞した被験者の目線は少女の目と口、真珠の耳飾り、そして再び少女の目と口に移っていることが判明した。
このことから、鑑賞者の目線が少女の目・口・真珠の三点をループしており、この「持続的な注意のループ」によって鑑賞者はこの作品に強く惹きつけられると考えられるという。
つまり、鑑賞者が少女と目が合う気がするのは、実際に鑑賞者と少女の目がよく合っているのではなく、鑑賞者が無意識的に少女の目を頻繁に見ていることが原因と考えられる。
見る者すべての目線を奪うこの少女の目には、実際にそうなるだけの根拠が存在していたのである。
この少女は何者なのか
「真珠の耳飾りの少女」が鑑賞者を強く惹きつける作品であることに異論はないだろう。では、この少女は一体誰なのだろうか。
一説によれば、この少女がフェルメールの娘であるマーリアであると言われているものの、それを裏付ける根拠は存在しない。
それよりも可能性が高いと考えられているのが、この少女が“空想上”の人物であるという説である。
先述の通り、真珠の耳飾りは少女の愛情深さや美しさの象徴であり、実際に少女が身に付けていたものではない可能性がある。このことは、真珠だけでなくこの少女自身もまた現実には存在していなかったことを示していると考えることができる。
また、少女には眉毛が描かれていない。モデルとなった少女にそもそも眉毛がなかった可能性もあるが、本来描かれているはずの眉毛が描かれていないことも、この少女が空想上の人物であることを示唆しているのかもしれない。
ちなみに、このように実在しない空想上の人物を描いた作品のジャンルを「トローニー」という。フェルメールがこの作品で描いた少女は、彼の内なる願望が具現化された彼にとっての“理想的”な女性像であったのだろうか。
引用:Yahoo!Japanニュース「フェルメール《真珠の耳飾りの少女》を見つめてしまうのはなぜ? 脳科学者たちが理由を解明(10/31(木) 7:00配信)」
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