ゲルハルト・リヒターは何がすごいのか【巨匠が目指した世界は何か】

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Gerhard Richter. Abstract Painting, 1989. © 2024 Gerhard Richter - All Rights Reserved

ドイツ史上最高峰の画家であり、現代美術の巨匠であるゲルハルト・リヒター。彼は一体何がすごいのだろうか。彼がこれまで手掛けた様々なシリーズを解体し、それらを通して彼が追及した世界は何だったのかを考察する。

現代美術の巨匠

ドイツが誇る史上最高峰の画家であり、現代美術の巨匠であるゲルハルト・リヒター

20世紀後半から現在に至るまで画家として世界の第一線で活躍を続けているリヒターは、今なお世界中の人々に大きな影響を与えている。

1932年にドイツのドレスデンで生まれたリヒター。1951~56年まで地元の芸術大学で絵画を学ぶと、ベルリンの壁によって東西が分断される手前の1961年に西ドイツのデュッセルドルフに移住した。

デュッセルドルフ芸術大学に入学したリヒターは、油彩、写真、鏡、ガラスなど多様な素材を駆使しながら、既存の枠にとらわれない具象・抽象表現に取り組み続けている。

まるで写真のように絵画を描く「フォト・ペインティング」や、様々な色を重ね合わせた「アブストラクト・ペインティング」、写真の上に油絵具を乗せた「オイル・オン・フォト」など、リヒターがこれまで手掛けたシリーズは片手だけでは数えきれない。

以下で、彼の代表的なシリーズを解説しながら、ゲルハルト・リヒターが目指した世界とは何だったのかを考察していく。

フォト・ペインティング -階層と停止-

フォト・ペインティングは、新聞や雑誌などの写真を画面全体をぼかしながらキャンバスに描き写すという手法で描かれたシリーズである。

このシリーズの最も興味深い点は、通常、絵画を鑑賞した際にはその絵画の題材となる“現実”の対象を頭に思い浮かべるのに対し、フォト・ペインティングの場合では“現実の対象を写した写真”を想起するという点である。

例として、フォト・ペインティングの一つである「エマ」(1992年)を見てほしい。この作品では、一人の全裸の女性が階段を下りている場面が描かれているのだが、画面全体に施された独特のぼかしや特有の画面の切り取り方によってどこか写真のように感じられる。

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Gerhard Richter. Ema (Nude on a Staircase), 1992.
© 2024 Gerhard Richter

つまり、フォト・ペインティングを鑑賞した際に、私たちは絵画→写真→現実の順で想起するのである。このように、フォト・ペインティングは絵画と現実の関係性に新たな“階層”を作り出す。

また、写真とは瞬間を切り取ったものであり、写真によって切り取られた瞬間とは時間が永遠に停止した世界である。私たちがフォト・ペインティングを鑑賞した際に、はじめに瞬間が連続する現実を想起するのではなく、一つの切り取られた瞬間(=写真)を想起することで、私たちは前後の文脈から断絶された“まさにその瞬間”にのみ神経を集中させることになる。

これにより、私たちはリヒターによって描かれたその瞬間に対してより深く思いをはせて、その絵画が伝えようとしていることを心から汲み取ろうという気になるのである。

フォト・ペインティングは、絵画と写真の架け橋となるアート作品なのだ。

アブストラクト・ペインティング -具象と抽象-

アブストラクト・ペインティングは、様々な色をキャンバスに重ね合わせて、それを上からナイフでそぎ取ることで複雑な色彩画面を生み出すという手法で描かれたシリーズである。

重ね合わせた色をナイフで削り取ることによって画面に出すことで、混色による色の濁りを防ぎ、すべての色が本来の色の輝きを保ったまま画面に表れている。

アブストラクト・ペインティングの中で最も興味深い作品が「ビルケナウ」(2014年)である。この作品は、一見他の抽象画と変わりがないように見えるが、実は色の下層にアウシュビッツ強制収容所で囚人によって撮影された写真の模写が描かれているのである。

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Gerhard Richter. Birkenau(937-1), 2014. © 2024 Gerhard Richter

リヒターは、当初「ビルケナウ」を抽象画にするつもりはなかったものの、アウシュビッツ強制収容所のイメージをそのままキャンバスに描き写すことは難しいと感じたことから、その上から色を重ねたのだという。

この作品を見る限りでは具体的なアウシュビッツ強制収容所の様子は確認できないが、絶望を連想させる黒と血を連想させる赤といった配色に加え、色を削ることによって生まれたダイナミックさによって、当時の悲惨な状況を禍々と感じることができる。

ここで注目するべきなのは、この作品で具象と抽象の融合が行われているという点である。一見するとただ抽象的に色が置かれているだけなのだが、実際にはリヒターはその下層にアウシュビッツ強制収容所の写真を描き写しており、それをもとに様々な色が置かれている。

このことによって、この作品は抽象画でありながらも、鑑賞者は当時のアウシュビッツ強制収容所のおぞましい様子を容易に想像することができるのだ。

「ビルケナウ」は抽象画でありながら、“具象を下地とした抽象”であるがゆえに、鑑賞者は抽象的な画面から具象を想起するのである。

オイル・オン・フォト -静と動-

最後に、オイル・オン・フォトを紹介する。オイル・オン・フォトは、写真の上に油絵具やエナメルを置くという手法で制作されたシリーズである。

このシリーズを鑑賞する際に重要になるのは、「」と「」の関係性である。ここでいう「静」は“動きがない”ことを意味し、「動」は“動きがある”ことを意味する。

「14.2.98」(1998年)では、赤ちゃんを抱きかかえる母親の様子を写した写真の上に、赤色と黒色の油絵具が分厚く塗られている。この作品においては、母子を写した写真を「静」、油絵具を「動」と捉えることができる。では、この「静」と「動」は何を表すのか。

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Gerhard Richter. 14.2.98, 1998. © 2024 Gerhard Richter – All Rights Reserved

端的にいえば、「静」は物事を説明する役割を担い、「動」は感情を示す役割を担う。この作品では、写真が母親とその子供の状況を鑑賞者に説明し、油絵具は母親が内に秘めた感情を示している。一体、母親はどういった感情を抱いているのだろうか。

赤色と黒色から連想されるのは、怒り、絶望、痛みだろうか。子を持つことは女性としての一生の喜びでありながらも、それに伴う苦労や苦痛は計り知れない。

「静」としての写真の上に「動」である油絵具を置くことで、写真だけでは鑑賞者に伝えることができない、裏に潜んだ感情を表層に持っていくことができる。オイル・オン・フォトは、このように二つの対極的な性質を持つ素材を同時に用いることで感情を表現するのである。

ゲルハルト・リヒターは何がすごいのか

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Gerhard Richter. Betty, 1988. © 2024 Gerhard Richter – All Rights Reserved

ドイツ史上最高の画家であり、活動開始から以後60年間にわたって現代美術の最前線を走るゲルハルト・リヒター。

様々な表現を追求したリヒターであるが、彼のすごさは一体何だろうか。また、彼が生涯で追い求めたものは何なのだろうか。

これまで紹介した彼のシリーズ作品に共通していることは、彼が様々な角度から「現実を捉えようとした」ことである。

フォト・ペインティングでは、写真という切り取られた現実を媒介することで、絵画を通して私たちが生きる現実世界をより深層的に観察しようとした。

アブストラクト・ペインティングでは具象世界である現実を抽象的に表現しようとし、オイル・オン・フォトでは、表層部分の観察だけでは捉えることができない人間が内に秘めた感情という“ある種の現実”を視覚的に明白なものにした。

既存の絵画の枠にとどまることなく、常に新たな表現を追い求めたリヒター。彼が目指したのは“現実を未知の角度から捉えた世界”であり、またそこが彼のすごさでもあるのだ。

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