ジョン・ケージの「4分33秒」はなぜ4分33秒なのか?【偶然性は複雑か単純か】

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John Cage, 1988

アメリカを代表する音楽家であるジョン・ケージが1952年に発表し、世界に衝撃を与えた「4分33秒」。沈黙にこだわったケージがこの作品で表現したかったことは何なのか。「4分33秒」はなぜ4分33秒になったのか。音楽というジャンルにとどまらない屈指の現代アート作品を解説。

ジョン・ケージと沈黙

4分33秒」は、アメリカを代表する音楽家であるジョン・ケージによって1952年に制作された曲である。この作品は、以後音楽家のみならず様々な分野に大きな影響を与えた。

この作品では、演奏家たちが楽器を演奏することはない。この作品において事前に決められているのは4分33秒という“演奏時間”のみであり、演奏家たちに対する楽器演奏の指示はない。すなわち、「4分33秒」は4分33秒間の「沈黙」を味わうという作品なのである。

沈黙を味わうとはいっても、本当に沈黙であるわけではない。楽器が演奏されない4分33秒間には、聴衆の息遣い、会話、服が擦れる音、会場の外から聞こえる騒音など、意図されていない音が存在するはずだ。「4分33秒」は、実際にはこういった「偶然に起こる音」を体験するという作品なのだ。

無響室で聞こえた音

ジョン・ケージが「4分33秒」を制作するきっかけとなった主要な出来事の一つに、無響室での体験がある。

1951年のとある日、ケージはハーバード大学の無響室を訪れることがあった。無響室とは、音の反射が極限まで減らされ、音の反響がほとんどない部屋のことである。

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1951年、ハーバード大学の無響室に座るジョン・ケージ。出典:ARTnews JAPAN「ジョン・ケージの《4分33秒》はなぜ名作なのか──音楽の概念を180度変えた「無音の曲」を聴く」(2024.05.13)

ケージは、そこではほとんど音は聞こえないと考えていたが、実際には違ったという。彼は無響室で二つの音を聞いた。一つは、神経系が働いている音であり、もう一つは血液が流れている音だった。

彼は無響室に入ることで、普段の音がある状態では認識していなかった自分の体内で起きている音を発見することになったのである。

このことを受けて、ケージは完全な無音は不可能であると考え、さらに無音とは「意図しない音が起きている状態」であるという結論に達した。

沈黙と白

ケージが「4分33秒」を制作することになったもう一つのきっかけに、ロバート・ラウシェンバーグという画家の存在がある。

ケージに大きな影響を与えたのは、ラウシェンバーグが1950年代初頭に手掛けていた「ホワイト・ペインティング」という絵画シリーズである。

white painting
Robert Rauschenberg. White Painting. 1951 © 2024 The Museum of Modern Art ( http://www.moma.org. )

「ホワイト・ペインティング」は、キャンバスに白のみを使って絵画を制作するというもので、ラウシェンバーグのこのシリーズはモノクローム絵画の象徴的な作品とされている。

「ホワイト・ペインティング」の鑑賞者は単なる白色のキャンバスを鑑賞するのではなく、そこに写る光や影を見たり、鑑賞者の心に浮かぶイメージをキャンバスに投影したりする。

ケージは、この白いキャンバスの性質を無音に見出し、あえて楽器を演奏しないことによって強調される聴衆の発する音を鑑賞する作品として、「4分33秒」を制作することになったのである。

なぜ4分33秒なのか

ここで一つの疑問が浮かぶ。「4分33秒」というケージの作品は、なぜ4分33秒でなければならなかったのか。

これについて有力とされるのは、ケージが偶然性を用いたというものである。

ケージは、タロットカードに秒数を書いてシャッフルし、引かれたカードに書かれた秒数を足し合わせた結果4分33秒になったという。

具体的には、第一章が1分30秒、第二章が2分23秒、そして第三章が1分40秒となっている。

ケージは「4分33秒」という作品において偶然性を重要視している。彼が作品の時間を決める際に偶然性を利用したことに加えて、この作品を構成するのが偶然性そのものによって生まれる音であるのだ。

複雑と単純とミニマリズム

音を足していき、新たな音楽を生み出そうとすることでますます複雑化している現代音楽とは対照的に、「4分33秒」は一切の“音”を排除することで単純化することに成功した音楽のように見える。

しかしながら、果たして本当にそうだろうか。確かに譜面には何も記されていないのだが、一方でそれはこの作品が「無限の可能性」を秘めていることにもなる。

演奏家が楽器を演奏せずに「沈黙」を作り出すことにより、聴衆はその場で起きる偶然の音を体験する。聴衆が会場でどんな音を聞くのかは、実際にこの作品が演奏されるまでは誰も分からない。

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あらかじめ譜面が決まっている場合、様々な音を作品に取り入れることによってその作品を複雑化することができるが、その反面でその作品がそれ以上複雑化することはない

しかし、あらかじめ譜面が決まっていない「4分33秒」の場合、演奏されるまでは究極的に単純化されている作品であるものの、いざ演奏が開始するとこの作品はどこまでも複雑化することができる

「4分33秒」は、譜面上は「最も単純な作品」である一方で、演奏中は「最も複雑な作品」であるということができるのである。

ミニマリズムとしての側面がスポットライトを浴びることが多いものの、この作品は複雑性と単純性の両方の側面を兼ね備えた現代アートなのだ。

「4分33秒」は聴衆が向き合う「鏡」なのか

「4分33秒」の複雑性と単純性についての特徴について述べたところで、この作品のもう一つの特徴について触れておきたい。それは、この作品が「」のような芸術作品であるということである。

「4分33秒」で演奏家は楽器を演奏しないが、この作品における真の演奏家は聴衆である。なぜなら、この作品の音を構成するのは主に聴衆自身の息遣いや会話であるからだ。

この作品が演奏されている間、聴衆は何をするだろうか。きっと、囁き声さえも普段の何倍の大きさで聞こえてしまう状況で、彼らは自分たちの立てる音や会話に耳をすませることだろう。

「4分33秒」が沈黙を作り出すことにより、聴衆は普段なら気にも留めなかったであろう“自分自身”に向き合うことになる。まるで、この作品が聴衆の全身を映し出す「鏡」であるかのように。

聴衆は改めて自分たちを映し出す鏡を見ることで、新たな発見をするかもしれない。「4分33秒」は、聴衆に自分自身を顧みる機会をもたらすアート作品なのである。

「4分33秒」が奏でるものは何か

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「4分33秒」では音楽を演奏しない。では、この作品が奏でるものとは一体何なのか。

先述の通り、この作品における真の演奏家は聴衆である。聴衆が発する息遣い、声、服の擦れる音などが、この作品を構成する音楽となる。

さらに、この作品を構成するものはそれだけではない。会場の雰囲気や空気感、気温、天気など、この作品が演奏されるその瞬間に存在するすべての環境要因もそれに含まれる。

なぜなら、「4分33秒」におけるテーマは偶然性であるからだ。以上で挙げたような環境要因はその時々で変化する、いわば偶然によって決定されるものである。そのため、実際には音に関係しない環境要因でさえもこの作品の構成要素となるのである。

となれば、「4分33秒」が奏でるものは単なる「音」ではないのは確かだ。この作品が奏でるものは、演奏中の「瞬間」そのものであるといえる。

会場で起きる音だけでなく、演奏が行われるその時間に「偶然的」に存在するすべての事象が作品の一部となる。

そのため、この作品の内容がまったく同じになることは決して無いのである。偶然性を追求したジョン・ケージは、すべてが未確定の状態を完成とすることで、偶然のみによって構成される「4分33秒」という作品を生み出したのである。

出典:
Wikipedia 「4分33秒」
ARTnewsJAPAN 「ジョン・ケージの《4分33秒》はなぜ名作なのか──音楽の概念を180度変えた「無音の曲」を聴く」(2024.05.13)

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