フリーダ・カーロの「折れた背骨」と象徴的存在としての意味

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フリーダ・カーロ「折れた背骨」(1944年)

20世紀を代表する女性芸術家であるフリーダ・カーロが1944年に制作した「折れた背骨」を解説。生死をさまよう大事故に巻き込まれながらも画家として輝きを放ったカーロの波乱に満ちた人生を見ていく。

メキシコ生まれのフリーダ・カーロ

20世紀における最も重要な女性芸術家の一人であり、数多くの作品を世に残したフリーダ・カーロ

メキシコにおける現代美術を代表する画家であるカーロは、国内のみならず世界中で高い評価を受けており、2024年に世界的ファッションブランドであるディオールがメキシコシティで開催したクルーズコレクションでは、フリーダ・カーロがテーマに選ばれた。

カーロは、1907年にメキシコシティ近郊のコヨアカンの家庭に生まれた。彼女が生まれ育った生家は「青い家」として知られ、現在はフリーダ・カーロ記念館として公開されている。

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フリーダ・カーロの「青い家」。

そんなカーロは生涯で約200点もの作品を手掛けたのだが、その大部分を占めるのが自画像である。

特に、自画像の中のほとんどの彼女がメキシコの伝統衣装を身に付けていることや、作品にメキシコの動物や植物が多く登場することから、カーロは故郷であるメキシコの文化に対して非常に強いこだわりを持っていたことがわかる。

また、つながった眉毛やうっすら生えたひげなどが特徴的な彼女の個性溢れる自画像からは、彼女が内に秘めていた強い意志の力を感じ取ることができる。

現代のセルフ・ポートレイト芸術の第一人者とも謳われるフリーダ・カーロ。ここから、彼女の波乱と苦悩に満ちた人生を振り返りながら、彼女の作品の魅力について解説していく。

運命を変えた事故

今でこそ世界で最も有名な女性芸術家の一人として知られるフリーダ・カーロであるが、最初から絵画の道へと進むことを考えていたわけではなかった。

彼女の運命を変えた出来事は1925年のとある日に起こった。その日、カーロが乗っていたバスが路面電車と衝突し、彼女は深刻な怪我を負ってしまったのである。

背骨や骨盤、鎖骨などを骨折したカーロは、長期間にわたる入院や度重なる手術を経験した。それだけでなく、治療が終わった後も彼女は生涯慢性的な痛みに苦しむことになった。

長い療養期間の中、寝たきりでの生活を余儀なくなれたカーロは、体を動かさずにできることとして絵を描き始めたのである。これが、画家フリーダ・カーロの始まりとなる。

そんな思うように体を動かせなかったカーロが特に精を出したのが「自画像」だ。彼女は、自分自身を映し出す自画像を制作し続けることによって自己のアイデンティティや存在理由について思考を巡らして、自分自身の内面へと切り込んでいったのである。

そして現在、カーロの生み出した数々の作品は世界中で高く評価されている。以下で、彼女の作品を具体的に見ていこう。

「折れた背骨」が柱である理由

フリーダ・カーロの代表作の一つに、「折れた背骨」(1944年)がある。この作品は、まさに事故によってカーロが経験した身体的苦痛を表現した作品である。

画面の中央に佇むのはもちろんカーロ自身である。露出した上半身の中でも真っ先に目につくのは、首から下半身に続いている背骨だろう。鑑賞者に丸見えになった背骨は、よく見るといたるところにひびが入っている。これは、事故で損傷した脊髄を表していると思われる。

上半身を固定するように巻き付けられたコルセットは、取ってしまうとまるで左右にちぎれてしまいそうな上半身の痛々しさをより強調している。

また、はだけた上半身には無数の釘が突き刺さっている。この釘は、事故によってカーロが全身で経験した耐えられない痛みの象徴となっている。

ここで注目するべきは、やはり背骨である。実は、彼女の背骨は実際の背骨ではなくて「」として描かれているのだ。一体なぜだろうか。

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フリーダ・カーロ「折れた背骨」(1944年)

パルテノン神殿などに代表されるギリシャ建築において、柱は「秩序と調和の象徴」とされてきた。また、一般的に柱は精神的・肉体的な支えとしての意味を持っている。

事故で脊髄に大きな損傷を負ったことにより肉体的かつ精神的にも苦痛を強いられることになったカーロは、まさに精神的・肉体的な安定を失ってしまった。

彼女は、自らの背骨をぼろぼろになった柱として描くことで、物理的に脊髄に怪我を負ってしまったことを表現するだけでなく、体が思うように動かないことや怪我による痛みにより彼女の内面の均衡を保っていた「柱」さえも崩壊しかけていたことも表しているのである。

アイデンティティと苦痛の対立

凄惨な事故をきっかけに、絵画への思わぬ道を切り拓いたフリーダ・カーロ。この事故が彼女のアイデンティティを見つめ直すきっかけとなったことに間違いはない。しかし、彼女の作品からは彼女が抱えていた大きな苦悩が見て取れる。

カーロが1940年に制作した自画像である「いばらの首飾りとハチドリの自画像」を見てみよう。この作品では、白い衣装を身に付けたカーロの両肩に黒色の猿と猫が一匹づつ乗っている。また、彼女の首にはいばらでできた首飾りが付けられており、そこにハチドリが紐でくくりつけられている。

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フリーダ・カーロ「いばらの首飾りとハチドリの自画像」(1940年)

ここでよく見ると、首飾りのいばらのとげが彼女の首に刺さって出血しているのがわかる。これは、事故の後遺症による痛みに苦しむカーロを表している。

また、普段は自由に空を飛び個性を発揮するハチドリがいばらにくくりつけられて自由を奪われていることで、カーロもハチドリと同様に今まで通りの自由を失ってしまったことが象徴されている。

それに対して、彼女の周りには猿や猫、熱帯地域の植物や昆虫が描かれている。これらは総じて、カーロの生まれ故郷であるメキシコの文化を象徴している。

真剣な表情でこちらを向いているフリーダ・カーロ。彼女の強い眼差しからは、彼女の中でメキシコ人そして女性としてのアイデンティティがはっきりと確立されていたことが感じられる。

しかしその一方で、いばらの首飾りやハチドリからわかるように、彼女は事故による数々の手術や治療、後遺症などの耐えがたい苦痛とも戦っていたのである。

「強い女性」の象徴的存在としての意味

生死をゆるがす大きな事故に巻き込まれながらも、人生に絵画という新たな活路を見出したフリーダ・カーロ。彼女の生み出す作品が現代の私たちに対しても大きなインパクトがあることはさながら、彼女の作品がここまで評価される理由とは何だろうか。

先述の通り、カーロの作品のほとんどは自画像である。生まれ育ったメキシコの民族衣装や動物、植物を取り入れた彼女の作品は、これまでの画家たちの数ある自画像とは一線を画すような唯一無二な個性を放っている。

しかし、本当に注目するべきなのは、彼女の自画像が彼女のアイデンティティを強く主張するものである点である。

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フリーダ・カーロ「猿のいる自画像」(1938年)

冒頭でも述べた通り、彼女のつながった眉毛やうっすらと生えたひげなど、彼女の自画像は非常に個性豊かである。このようなある意味「男性的」な彼女の身体的・外見的特徴が、彼女を「強い女性」の象徴的存在にのし上げるのだ。

また何度も繰り返している通り、カーロは大きな事故を経験した。そのことが彼女にとってとても大きな災難であったことには間違いないのだが、一方でその苦悩と必死に戦いながらも自身の存在を絵画作品を通して主張し続けたこともまた、彼女の「強い女性」像を確立しながら、さらに画家としてのカーロの信ぴょう性をも高めたといえる。

フリーダ・カーロの力強い作品が、長い時を経た現代にいたってもなお世界中で高く評価されている背景には、彼女が持つ類稀なるアイデンティティの存在があるのである。

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