ダダイズムとシュルレアリスムの違いとはなにか【異途同帰の芸術運動】

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Hannah Höch. Cut with the Dada Kitchen Knife through the Last Weimar Beer-Belly Cultural Epoch in Germany,1919. bpk, Berlin / Nationalgalerie, Staatliche Museen, Berlin, Germany / Photo: Jörg P. Anders / Art Resource, NY / Höch, Hannah (1889-1978) © ARS, NY

ダダイズムとシュルレアリスムの違いとは何か。20世紀を代表する芸術運動であり、芸術のみならず様々な分野に影響を与えたダダイズムとシュルレアリスムを深掘りすることで見えてくる両者の目的や共通点、違いなどについて丁寧に解説。

ダダイズムとは

ダダイズムは、フランスの詩人であるトリスタン・ツァラが1910年代半ばに提唱した芸術運動である。

この芸術運動について語る上で重要となるのが、第一次世界大戦だ。

ツァラがダダイズムを提唱した1910年代半ば、世界は第一次世界大戦の戦渦にあった。国の威勢をかけた獅子奮迅の争いは街を破壊し、残忍な殺戮行為は大勢の民間人の命を奪った。

ダダイズムの代名詞は「無意味な芸術」である。これは、理性を持つ人間が大戦において醜い争いを繰り広げたことで、人間理性そのものに対して疑問が持たれたことに起因する。

本来、芸術作品は理性によって創られるものである。しかし、もはや理性の存在自体に疑問符がうたれたことによって、理性や意味を持たずして芸術活動を行おうというのがダダイズムの真意なのだ。

例として、代表的なダダイストであるハンナ・ヘッヒが1919年に制作した作品を見てみよう。新聞記事や雑誌を切り取り貼り付けることによって構成されたこの作品は、理性よりも直観に基づいて作られているように感じられ、意味もないようだ。このように、新聞記事や雑誌を切り取ることによって構成されるダダイズムの作風をフォトモンタージュという。

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Hannah Höch. Cut with the Dada Kitchen Knife through the Last Weimar Beer-Belly Cultural Epoch in Germany, 1919.
bpk, Berlin / Nationalgalerie, Staatliche Museen, Berlin, Germany /
Photo: Jörg P. Anders / Art Resource, NY / Höch, Hannah (1889-1978) © ARS, NY

コラージュやフォトモンタージュなど様々な形を通して広がりを見せたダダイズムであったが、その勢いは長くは続かなかった。1919年頃から衰退の傾向を見せると、ツァラは同じくダダイズムの主要メンバーであった、同じくフランスの詩人であるアンドレ・ブルトンの招聘に応じてパリに移住することになるが、1922年に二人は決別。そのままダダイズムはあっけなく終焉を迎えることになったのだ。

短期間ではあったがヨーロッパからアメリカまでかなり広範囲まで波及した芸術運動であるダダイズムは、絵画そして世界大戦の歴史を語る上で欠かせない存在であるといえるだろう。

シュルレアリスムとは

ツァラとの決別から数年後、ブルトンが1924年に「シュルレアリスム宣言」を発表したことによって、正式にシュルレアリスムの時代が幕を開けた。

シュルレアリスムは、日本語で「超現実主義」と訳される。しかし、決してこの芸術運動が「非現実的な世界」を描くことを目的としているわけではない。シュルレアリスムの目的は「人間の無意識を具現化すること」である。

例えば、有名なシュルレアリストのサルバドール・ダリの代表作である「記憶の固執」(1931年)において、ダリはカマンベールが溶けたような時計を描いている。これは、溶けたカマンベールという「無意識的なイメージ」を、柔らかい時計という「現実で認識可能な状態」にすることを目指したものである。

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Salvador Dalí. The Persistence of Memory. 1931 © 2024 Salvador Dalí, Gala-Salvador Dalí Foundation / Artists Rights Society (ARS), New York

なお、ブルトンはシュルレアリスムを提唱する上で、人間の「無意識」についての理論を完成させた、オーストリアの心理学者であるジークムント・フロイトの精神分析学に大きな影響を受けたとされている。

このように、シュルレアリスムは人間が内に秘めた無意識的なイメージを、客観的に認識できるような形に表現することを目指した芸術運動なのである。

どちらも“理性批判”をしている

ダダイズムとシュルレアリスム。一見まったくの別物である二つの芸術運動であるが、実は両者の間には共通点が存在する。それは“理性批判”である。

ダダイズムは、理性を持った人間が行う数々の残忍な戦争行為を受けて、もはや理性に意味を見出すことができなくなったことによって生まれた芸術運動である。その結果、人間の理性や作品に込められる意味をも無視して作品を制作するという作風が出来上がった。

つまり、ダダイズムは“理性批判”をすることを目的とした芸術運動であるということだ。

では、シュルレアリスムはどうだろうか。シュルレアリスムは、人間が内に秘めた無意識的なイメージを具現化する。そして無意識とは、まさに理性の対極に置かれる存在である。

それまでは人間の“理性”に従って行われてきた芸術活動に対して、大胆にも人間の“無意識”に従って芸術活動を行おうとするシュルレアリスムは、ダダイズムと同様に理性批判をしているといえよう。

戦争に対する反動としての芸術運動

ダダイズムとシュルレアリスムにはもう一つの重要な共通点がある。それは反戦だ。

そもそも、ダダイズムは戦争があったことによって生まれた芸術運動といっていい。なぜなら、戦争という出来事があったことによって人々は人間の理性の不甲斐なさを痛感することになり、その結果ダダイズムが誕生したからである。

つまり、ダダイズムは反戦という意思、すなわち戦争に対する反動が生まれなければそもそもこの世にあるはずのない芸術運動なのである。

一方でシュルレアリスムはというと、実はこちらも戦争とは切っても切れない関係にある。このことは、ブルトンが発表した「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」から読み解くことができる。というのもブルトンは宣言の中で、シュルレアリスムは人々の精神の自由および生きる自由を獲得することを目指すとしているのである。

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シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)

では、ブルトンのいう「自由」とは、一体“何からの自由”を指すのだろうか。実は、シュルレアリスムが発生した頃は、第一次世界大戦が終戦し第二次世界大戦が開戦する前の期間、いわゆる戦間期であった。

このことを考慮すると、ブルトンのいう「自由」とは“戦争からの自由”を意味していたとみて間違いないだろう。第一次世界大戦は大量の民間人の命を奪い、街を破壊した。たとえ終戦したとしても、残されたのは家族や友人を亡くし悲しみに暮れる人々である。終戦は、戦争からの自由を人々に与えるわけではないのだ。

だから、ブルトンはシュルレアリスムを通して人々を真の意味で戦争から解放しようとした。このように、シュルレアリスムの根底にはダダイズムと同様に反戦という意思が横たわっているのである。

ダダイズムとシュルレアリスムの違いはなにか

ここまで、理性批判と反戦というダダイズムとシュルレアリスムの共通点を挙げてきた。それでは両者の違いは何だろうか。

実は、両者の間には表現方法の観点から決定的な違いが存在する。それを一言で表すなら“破壊と創造”である。

芸術を成立させる要素を大きく分けると、それは目的と手段である。まず初めに芸術表現を通して実現したい目的があり、それを達成するための表現方法として手段がある。

ダダイズムとシュルレアリスムの目的は、言うなれば“戦争に対する反抗”であろう。どちらの芸術運動も、戦争がもたらした無慈悲な結果があったことによって勃発した、いわば戦争への一種の対抗である。

両者の違いは、どのようにして戦争への抵抗を行うかという点にある。ダダイズムの場合、人間の理性によって創られた芸術作品を真っ向から否定する、つまりそれまでの芸術を“破壊”することによって反戦を訴えた。

一方でシュルレアリスムは、理性の対極的存在である無意識に従って新たな芸術を生み出すことで、理性批判を行った。つまり、シュルレアリスムはは芸術を新たに“創造”することによって反戦を訴えたのである。

ダダイズムとシュルレアリスムはどちらも戦争への抵抗という同じ目的を持った芸術運動である。しかし、両者はその一つの目的に辿り着くために正反対に向かう道を進んだことによって、まったく違った様相を呈する芸術運動となったのだ。

《反理性としての創造》

最後に、ダダイズムとシュルレアリスムという二つの芸術運動を比較することによって浮き彫りになったシュルレアリスムのある“特異性”について触れておこう。

ここまで触れてきたように、ダダイズムとシュルレアリスムについて語る上で重要となってきたのが“理性”と“反理性”の対比である。ダダイズムとシュルレアリスムは、どちらも理性を否定し反理性を主張した芸術運動であった。

そして、ダダイズムは“破壊”、シュルレアリスムは“創造”という手段を用いることによって反理性による芸術を実現させた。注目してほしいのが、理性と反理性、創造と破壊の対比関係である。

理性反理性
創造破壊
理性⇔反理性、創造⇔破壊の本来の対比関係

本来、創造は理性的な行為であり、破壊は反理性的な行為である。つまり、理性側に創造があり、反理性側に破壊がある。そしてダダイズムは、既存芸術の破壊によって反理性を訴えた。つまり、ダダイズムはこの二つの対比関係に則った形となる。

一方で、シュルレアリスムは新たな芸術を創造することによって反理性を訴えた。これはつまり、本来は理性側にあるはずの創造を反理性側に持ってきていることになり、従来の二つの対比関係の構図を無視していることになるのである。

理性反理性
創造、破壊
シュルレアリスムにおける理性⇔反理性、創造⇔破壊の対比関係

このように考えると、ダダイズムとシュルレアリスムはどちらも革新的な芸術運動であることに変わりはないものの、シュルレアリスムの方がダダイズムよりもさらに“従来の規範を覆す”動きであったといえるのではないだろうか。

20世紀の芸術を彩ったダダイズムとシュルレアリスム。一線を画すはずの二つの芸術運動の間には実は隠れた共通点が存在し、なおかつそれでも両者を明確に区別するはっきりとした“違い”がある。そして、これらの芸術運動を比較することによって改めてシュルレアリスムの革新性を思い知ることになるのである。

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