抽象絵画の先駆けの一人であり、様々な形で現代に多大な影響を与えるピエトモンドリアン。
彼といえば直線だけで絵画を描くという作風で有名であるが、一体ピエトモンドリアンは何がすごいのか、そして彼の作品から読み取れる「矛盾」について語っていく。
ピエトモンドリアンの生涯
まず最初に、ピエトモンドリアンの動きのある生涯を簡単に紹介しておく。
モンドリアンの生まれはオランダのアメルスフォールストである。彼はオランダ東部のウィンタースワイクに移住すると、アムステルダム美術アカデミーに入学した。
1911年にパリに移住すると、そこでパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックらが提唱するキュビズムに影響を受け、モンドリアンはパリの前衛芸術運動に身を置くことになる。
オランダへの帰還後に所属した芸術コミュニティにて、彼は後にオランダの前衛芸術家として大きな影響力を持つようになるベルト・ヴァン・デ・レックやテオ・ファン・ドゥースブルフと出会う。
1917年に、テオ・ファン・ドゥースブルフとモンドリアンは「デ・ステイル」という美術雑誌を創設し、同名の前衛芸術運動を開始する。ここで、モンドリアンは「新造形主義」という新たな芸術理論を提唱することになる。
その後、パリを経てロンドンやニューヨークを渡り歩いたモンドリアンは、その間に「コンポジションシリーズ」や「ブロードウェイ・ブギ・ウギ」といった代表作を制作することになるのだ。
新造形主義と抽象絵画
さて、モンドリアンがオランダで完成させた独自の芸術理論「新造形主義」であるが、この理論は実に画期的であった。
新造形主義は、垂直・水平な直線と三原色および無彩色の組み合わせのみを用いて描かれる芸術手法であるが、これはまさしく「究極の抽象」といえるだろう。
ピエトモンドリアンは最初のパリ時代にピカソやブラックらのキュビズムに大きな影響を受けた。キュビズムといえば、対象を様々な角度から観察し、それを幾何学的に一つの画面に同時に描くというものであり、従来のリアリズム絵画からは大きく逸脱したものである。
しかし、キュビズムは垂直・平行な直線だけでなく斜めの直線や曲線も用いることに加え、新造形主義のように色彩が制限されていたわけではない。その点で、新造形主義はキュビズムよりもさらに前衛的な派閥であった。
また、新造形主義はキュビズム以上に「空間」という概念からかけ離れている。
キュビズムの場合は様々な角度から見える対象を一つの二次元画面に収めているため、絵画から空間性そのものが排除されているというよりは、「複数の空間が一つの画面に混在していることで空間が認識不能になっている」と表現した方がしっくりくる。そのため、キュビズムには奥行きが存在するといえる。
一方で、新造形主義の場合は完全な平面であり、空間そのものが一切排除されている。つまり、奥行きが全く存在しないのだ。
とはいえ、キュビズムと新造形主義ではそもそも表現に対する「目的」が異なるため、両者を比較すること自体お門違いなのかもしれないが、それにしても新造形主義はキュビズムよりも視覚的により「大胆」な手法であったといえるだろう。
幾何学は感情を最大化する -赤・青・黄のコンポジション-
ピエトモンドリアンは幾何学で絵画する。これだけを聞くと、彼の描く絵画は冷徹かつ数学的なもので人間の感情の部分からは遠くかけ離れている印象が生まれる。しかし、実際はそうではなくむしろ真逆である。
確かに、三原色すら使わずに無彩色のみを使用して絵画を描いていた初期の頃の作品を見ると感情的な作品とはいいがたいのかもしれないが、「赤・青・黄のコンポジション」(1930年)や「ブロードウェイ・ブギ・ウギ」(1942-43年)といった作品からは実にカラフルな印象を受ける。
彼のこういった作品を見ていると、どこか楽しい雰囲気を感じ取ることができる。そう、彼は作品に幾何学的な直線しか作品に使用していないのにもかかわらず、彼の作品からは人間らしい感情が感じられるのである。それはなぜか。秘密は色彩にある。
「赤・青・黄のコンポジション」(1930年)で用いられている赤・青・黄の三原色のコンビネーションが、鑑賞者に楽しさや嬉しさといった感情を引き起こしている。四角で彩られたそれぞれの色の大きさはすべて異なっており、これによって色彩にリズム感が生まれている。また、それぞれの色の間に白を挟むことで、三原色の主張がぶつからずにほどよい調和が生まれている。
曲線や奥行き、具像を画面から排除したモンドリアンは、色彩の大きさと配置だけで鑑賞者の感情を引き起こす。つまり、彼は作品を通して鑑賞者に訴えかけるにあたり、必要最低限な要素である色彩のみを用いている。
通常、具体的な物や人物に対する人間の感じ方は十人十色である。誰一人としてまったく同じ感じ方をする人はいない。よって、アーティストが具像を用いて作品を制作する場合、必ずしも鑑賞者はアーティストが狙った通りに作品を捉えるわけではない。例えば、都会のオフィス街を描いた絵画の場合だと、ある人は娯楽にあふれた楽しい風景だと感じることで、そこから映画、音楽、スポーツといった「良い具象」を連想するだろうし、またある人は汚染された空気に満ちた汚らわしい風景だと感じることで、ゴミや土壌汚染といった「悪い具象」を連想するだろう。
その点、モンドリアンはそういった具象の一切を作品から排除しているため、すべての鑑賞者が彼の作品から感じることは「感情そのもの」に他ならない。鑑賞者は、彼の作品から「良い具象」も「悪い具象」も連想しない。一見、幾何学と感情という矛盾した存在に感じられる二者であるが、面白いことに直線という幾何学のみで構成される彼の作品は、余計な思考を排除した究極的に純粋で感情的な絵画であり、かつ普遍的で根源的な絵画でもあるのだ。
ブロードウェイ・ブギ・ウギから見える抽象と具象の融合
ところで、私はさきほど、モンドリアンの作品は具象つまりリアリズムを排除した究極的な抽象画であるといったが、ここで「ブロードウェイ・ブギ・ウギ」(1942-43年)について触れたい。
「ブロードウェイ・ブギ・ウギ」(1942-43年)は、モンドリアンがニューヨークに住んでいた頃に描いた作品で、マンハッタンの街並みをブギウギのリズム感を出して表現している。
この作品でも、「赤・青・黄のコンポジション」(1930年)のように白と灰色に赤・青・黄の三原色を加えた五色が幾何学的に用いられており、マンハッタンの街並みを抽象的に表現しているように感じられる。
しかしながら、この作品はコンポジションシリーズとは一味違う。なぜなら、この作品ではマンハッタンの街並みが「抽象的かつ具象的」に描かれているからである。
想像してほしい。マンハッタンは南北と東西に走る道で構成されており、上空からマンハッタンを眺めると、それぞれの道が垂直に交わることで街全体が碁盤の目状になっている。そしれ、それに沿って近代的なビル群が敷き詰められている。夜になると、ネオンがきらめくマンハッタンの街では人々の喧騒にあふれ、真っ暗な夜空とは対照的に煌びやかな風景が広がることだろう。
ここで、モンドリアンの作品に戻ろう。すると、今までマンハッタンを抽象的に描いていたものと考えていた彼のこの作品は、実はかなり具象的でもあることに気づくだろう。垂直・水平な直線はまさにマンハッタンの道をそのまま表しているし、鮮やかな赤・青・黄は夜街にきらめくネオンの輝きそのものである。また、白や灰色の無彩色からは無機質な道路やビルが連想される。
先ほど、モンドリアンの作品は一切の具象を排除した究極的な抽象絵画として紹介したが、この作品は抽象的でもあるし具象的でもある。つまり、この作品の中では抽象と具象が融合しているように感じられるのである。
このことは、たまたまマンハッタンの街並みが碁盤目状に広がっていたという「偶然」によって引き起こされた現象であるといえるが、ともあれこの作品は「抽象と具象の思わぬ融合」を生み出した興味深い作品でなのである。
ピエトモンドリアンは何がすごいのか
さて、ここまでピエトモンドリアンと彼の作品について語ってきたが、彼は一体何がすごいのか、なぜここまでして評価されるのかということについては分かっていただけたと思う。
余計な具象とそれに伴う思考を排除し、感情という普遍的かつ根源的な人間の要素のみを取り入れることによって作品を生み出したピエトモンドリアンは、間違いなく後世に多大な影響を残した偉大な芸術家の一人であろう。
引用:アイキャッチ画像 Composition with Red ,Blue and Yellow, 1930, Piet Mondrian. Kunsthaus Zürich
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